まず最初に、皆さんに私の自己紹介をします。

a boy in my mind - Bow

          まず最初に、皆さんに私の自己紹介をします。私の名前は“ボウ”で、23歳です。チェンマイで修士号を取得するために勉強しています。私は乳房切除術の経験を振り返るためにこれを書いています。私は長い間、“大きな胸を持ちたくない”、つまり“欲しくない”ということを知っていました。大きな胸を持っている人は、それがどのように問題を引き起こしているかやどう邪魔なのかを理解しているかもしれません。私の胸は、ほぼDカップのCカップで、自分の体に満足していなかったし、好きではありませんでした。自分の体を見るたびにイライラしていました。“なんで自分は胸があるのか。なぜそれがそんなに大きいのか。そのせいで運動がしづらい。”胸が大きくなるにつれて、衣服を固定する器具で胸を締め付けてました。私は体を隠すために体を曲げて歩いていました。私はもともと胸がないと一部の人は思っているかもしれませんが、実際は、“いいえ、胸はあるけれど、見せたくない。”と思っていました。私はFTMやトランスジェンダーの人々のビデオクリップを観て、乳房切除術を受けたいと思わされた日までは、衣服を固定する器具と共に毎日幸せに過ごしていました。私は18歳で、バンコクで有名な女子校の高校を卒業したばかりでした。私は自分に問いかけました、“自分は本当に乳房切除術を受けたいのか。それとも女の子の友達とだけ過ごしていくか。”“両親に了承を得る必要はあるのか。”“親に内緒で手術をしてもいいか。”などこれらのことを22歳になるまでずっと考えていました。そしてついには手術をしたいと確信しました。

 

 

จากคัพ D สู่เฟิร์สบรา - โบ อสิดากาญจน์ ตันติไพบูลย์วงศ์

          ある程度の節約もありました。手術はそれほど複雑ではないと思ったので、あまりお金のことは考えませんでした。私はオンラインで手術をした人のレビューをたくさん読んだり質問したりしました。そして大学からそれほど遠くないクリニックを見つけました。料金はホテルでの1泊の滞在を含め、約50,000バーツでした。手術は局所麻酔下で行われ、大手術ではなく、小さな手術でした。それからクリニック側は私に手術の写真をたくさん送ってくれました。

          結局私はそのクリニックの基準を受け入れることができなかったので、そこでは手術を行わないことにしました。私は父に電話をし、何が起こっているか説明しました。父は、“ボウは全て話してくれたから正しいことをしている。家に帰ってきて一緒に情報を探そう。”と言ってくれました。誰のお父さんも、例え何があっても自分の子供を愛しています。お父さんは私のことを理解しようとしてくれて、そしてお互いのことももっと理解していきます。私たちは2ヵ所の乳房切除術で有名な病院を見つけました。その一つがガモンコスメティックホスピタルでした。私と父はたくさんの経験者に話を聞き、最終的にガモンコスメティックホスピタルで手術をすることを決断しました。

 

          ガモンコスメティックホスピタルをを選択した主な理由の1つは、患者のケアと価格です。これらは、他の病院と比べてそれほど大きな違いはありません。乳房切除手術の価格は80,000バーツからでした。私は病院に電話をして詳しい情報を聞き、同日にガモン先生に診察をしていただきました。他の病院だと、医師に診察をしてもらう場合は、1週間前か1週間以上前に予約をしていないといけません。ガモン先生は乳房切除術について詳しく説明して下さり、どの術法が私の胸のサイズに適しているか、また、ガモン先生が普段の手術でどのサイズのステッチを使用しているかまで説明して下さいました。

          さらに、ガモン先生は患者さんの術後のライフスタイルにも注意を払います。彼は術後の変化について教えて下さり、病室、手術室などを見たいかどうかも尋ねて下さいました。病院は小さな病院なので、そこは欠点だと人々は思うかもしれません。しかし、病院は全てのサービスが良く、他の人や他の場所よりもはるかによくお世話してくれます。上記の全ては私がここで手術をすることに決めた理由です。診察日後、手術日までは病院に行きませんでした。手術を始める前に準備しておく必要があるのは、洋服を準備することだけです。病室には石鹸、歯磨き粉、歯ブラシなどのアメニティが用意されています。他の主要な手術と同様に、手術前10時間は何も食べず、飲み物も少なくとも3時間前には控える必要があります。私が唯一感じていたことは、自分は本当にお腹が飢えていたということだけでした。

 

 

 

 

จากคัพ D สู่เฟิร์สบรา - โบ อสิดากาญจน์ ตันติไพบูลย์วงศ์

          

          手術当日、私は朝の10時に病院に到着しました。健康診断(血液検査と肺X線検査)と私が手術をするのに十分健康であることを確認するための医学的評価が行われました。そのあと、私は自分の病室に行き(回復期間中に滞在する部屋と同じ部屋)、患者衣に着替え、3時まで待機をしました。そして手術室に行くために、看護師さんが迎えに来てくれ、家族も一緒に手術室までついて行ってくれました。手術前の最後の思い出は、麻酔科医がカウントする1、2、3…を頼りにするようにと言われたことでした。目が覚めて回復室にいることに気付き、私の体調が良いかどうか確認できるには6~8時間かかりました。

 

 

 

วันที่ 2 หลังผ่าตัดศัลยกรรมผ่าตัดหน้าอกหญิงเป็นชาย

          その後、私は自分の部屋に戻り、胸の下には血液排出チューブがついており、尿カテーテルもありました。術後2日目は、意識は完全に戻っていましたが、自分一人では何もできませんでした。誰かの手助けが必要でした。痛みはあまり感じませんでした。回復期間中、看護師さんが私の面倒をよく見て下さいました。彼女達は6時間ごとに状態の確認をしに来てくれました。傷口を見る日は、傷口が良くなかったらどうしようと心配でした。また、まだ完全に取り付けられていない移植した乳首についても心配していました。結果には満足していましたが、乳首についてはまだ心配していました。

 

 

 

โรงพยาบาลศัลยกรรมตกแต่งกมล

          手術後3日目は退院日で、ドレインのチューブを外しても可能かどうか、ガモン先生が傷口を確認しに来られました。本当に家に帰りたいならドレインのチューブを繋いだまま帰ることができます。幸いなことに、私のドレインのチューブは家に帰る前に外すことができました。服用したことのない鎮痛剤を含む3種類の薬を手に入れ、着替えて帰宅しました。帰宅したあとは、妹が面倒を見てくれました。傷付近を巻く包帯は必須で、別の傷痕を残さない為に、帰宅後の休養中も誰かに付き添って面倒を見てもらうことをお勧めします。

 

 

 

วันที่ 10 หลังผ่าตัดศัลยกรรมผ่าตัดหน้าอกหญิงเป็นชาย

          手術7日後、抜糸をして移植した乳首部分が完全に皮膚に付着しているかどうかの確認をしました。私は乳首の色と形がどうなっているかとても心配していました。それらは全て外科的なリスクです。看護師さんが抜糸をして下さり、傷口は綺麗で良い感じだと言ってくれました。私は妹のケアに感謝しました。これからは、傷が完全に治癒するまで、自分で自分の面倒を見なくてはいけません。私は涼しい場所によく居たのであまりシャワーを浴びませんでした。手術1ヶ月後に軽い運動を再開することができ、その1~2ヶ月後に通常の運動を再開することができました。

 

 

 

ผลการการผ่าตัดศัลยกรรมผ่าตัดหน้าอกหญิงเป็นชาย

          現在、傷口は完全に治癒していて、良い見栄えです。私はこの結果に満足しています。このレビューが乳房切除術に興味のある方への有益なガイドラインになることを願っています。質問がある場合、または病院と手術に関する詳細情報が必要な場合は、私のFacebookまたはKamolの公式ファンページに連絡してください。手術についてもっと写真が必要であれば、いいねしてください。私の手術のレビューは以上です。私を理解してくれた両親、私のお世話をしてくれた妹、そしてこのレビューを読んで下さった皆さんに感謝します。皆さんのお役に立てば幸いです。

 

 

จากคัพ D สู่เฟิร์สบรา - โบ อสิดากาญจน์ ตันติไพบูลย์วงศ์